こんにちは♪アクリル画家の初香です。
アクリル絵の具は誕生から100年ほどで、まだ歴史の浅い絵の具です。
時代はキュビズム、ダダ、抽象絵画の流れから現代アートに移った頃です。
それまでの美術史では、素材や技法などが多く語られました。
ヤン・ファン・エイク兄弟が、油絵を確立した。
空気遠近法のレオナルド・ダ・ヴィンチ。
印象派の野外制作。など。
しかし、マルセル・デュシャンによって切り開かれた現代アートでは「芸術とは何か」という思想に重点が置かれるようになり、素材や技法はあまり語られなくなりました。
なのでアクリル絵の具を使った画家を調べようと思ってもすんなり出てきてはくれません。
画材には特に語られず作品のキャプションに小さくアクリル絵の具と書かれてあるだけだからです。
今回はそんなアクリル絵の具を使った画家をピックアップして紹介しようと思います。
目次
アクリル絵の具の歴史
アクリル絵の具の誕生
石油製品を作る技術が進歩して1901年ドイツでアクリル樹脂が開発されました。
初めに作られたアクリル絵の具は顔料を安くあげるために発色が悪く、画家が使うようなものではありませんでした。
メキシコ壁画運動
1920年代メキシコ壁画運動により、当時文字の読めない人にメキシコ人のルーツやアイデンティティ、メキシコ革命の意義を絵で伝えることを目的にして、建物の外壁に大きな壁が描かれました。
建物の外壁と言う風雨にさらされる環境のため、それに耐えれる耐久性のあるアクリル絵の具が開発されました。
アクリル絵の具の商品化
アクリル絵の具を最初に商品化したのはアメリカの「ボクー社」の「マグマ」という商品です。
その頃は今のように水で溶くものではなくベンジンで溶くものだったので限られた人にしか使われないものでした。
水性のアクリル絵の具を商品化したのが「リキテックス」で、一気に一般に広がりました。
アクリル絵の具を使った海外の巨匠
モーリス・ルイス
1912年~1962年 アメリカ メリーランド州
アクリル絵の具の初期のものは水で溶けるものではなく、ベンジンで溶いて使うものでした。
初期のこのアクリル絵の具は、アメリカの「ボクー」というメーカーの「マグマ」という商品です。
「マグマ」は当時活躍していたアーチストに使ってもらおうと配られましたが、それまでのスタンダードの油絵のような粘度が無くトロトロのテクスチャーが使いづらいとほとんどの画家が使わなかったのですが、モーリス・ルイスは逆にその緩さをに注目し制作を始めました。
キャンバスに薄く溶いたアクリル絵の具を注ぎ、キャンバスを動かして絵の具が流れる方向を調整して描く技法を生み出しました。
アクリル絵の具を薄めるのに限界があったので、「ボクー」に手紙を描いたら、2年後、ルイスのために特別な絵具を開発されました。
新しい絵具の実験に情熱を注いだが、絵具の希釈に使われた溶剤や、強い科学物質に長期間さらされたため、50歳で癌で亡くなった。
アンディー・ウォーホル
1928年~1987年 アメリカ ペンシルベニア州
ポップアートを代表する画家。
新聞やテレビ、コミックなどといった大衆的なメディアが画題にされています。
テレビや新聞の広告で消費が促され、人々は消費することでより良い豊かな生活を求めるようになった、そんな大量生産、大量消費の時代に違和感を感じたアーティストたちがシニカルに表現したものです。
代表作には「キャンベルスープ缶」や「狙撃されたマリリン」があります。
同じイメージが繰り返し目に入ることで、本来その物の持っていた意味や宣伝イメージを失ってアートとして生まれ変わってくる効果があります。
ロイ・リキテンシュタイン
1923年~1997年 アメリカ ニューヨーク
アンディ・ウォーホルと共にポップアートを代表的する画家です。
息子の為にミッキーマウスを描いた時、それまでの絵画にはない強いインパクトと表現に気づき、新聞や漫画の一コマを印刷インクのドットまで忠実に、大きなキャンバスに拡大して描きました。
印刷で影を付けるために使われるドットや太い輪郭線、三原色と黒、白だけを用いた単純化された表現が特徴です。
「それは何かの絵のように見えるのでなく、物そのものように見えるのです」と本人が語るように物体としての側面が強調されていて、絵画というものの概念にも問いかける作品です。
デイヴィット・ホックニー
1937年 イギリス
1960年代にアメリカに渡り、アクリル絵の具で制作を始めました。
ポップアートにも大きな影響を与え、イギリスの現代芸術を代表する一人です。
身の回りの人物や自然、室内風景やプールのある邸宅を明るく暖かな色調で描いた作品が数多くある。
当時新しい絵具であったアクリル絵の具を使ったり、インスタントカメラ、ポラロイドカメラ、家庭用コピー機や、ファックス、など新しいメディアを積極に利用しで作品を作るほか、舞台美術も手掛けました。
2010年以降、iPadを使って制作をしています。
これからもまた新たな試みをされるかもしれません。
楽しみにしたいですね。
キース・へリング
1958年~1990年 アメリカ
ニューヨークの地下鉄で、使用されていない広告版を使ってコミカルな楽しい落書きを始めた、ストリートアート、グラフティー・アートの先駆者です。
ポップで楽し気な表現ですが、差別や暴力を風刺した社会的、政治的な問題をテーマに作品を生み出しました。
パブリックアートを中心に多岐にわたる制作活動をしていましたが、エイズに感染し31歳の若さで亡くなるまでに財団を設立し、アート活動を通してHIV・エイズ予防啓発運動に取り組みました。
ジャン・ミッシェル・バスキア
1960年~1988年
子どもの頃はかなりヤンチャをしてたそうです。地下鉄やスラム街の壁などにスプレーペインティングを描き続けて、20代前後の若さで爆発的な人気を得ました。
美術史の中で、初めて評価を得た黒人アーティストです。
社会的な不平等、人種差別、ブルジョアの愛玩として搾取されつづけ、苦悩の中27歳の若さで、ヘロイン中毒で亡くなりました。
ピーター・ドイク
1959年 スコットランド
ドイクは油絵で分厚く塗り重ねたり、削り落としたり、引っかいたりと技法から、アクリル絵の具を薄い麻布に染み込ませるようにし、レイヤーを重ねるように塗り重ねて描くようになった。
現代の巨匠
本永定正
1922年~2011年 三重県
日本のアクリル画家の先駆者です。
1966年にニューヨークに渡り、そこでアクリル絵の具とエアブラシに出会い新境地を開きました。
具象絵画にはじまり、抽象画、絵具流しの作品、アクリル絵の具、エアブラシ、など、大きく技法や表現を変えた画家です。
煙を使ったパフォーマンスや、インスタレーション、モニュメントなど、絵画に収まることなく実験的な作品のを残しています。
草間彌生
1929年 長野県
「前衛の女王」
幼いころから統合失調症を患い、幻覚や幻聴の苦しみから逃れるために、その幻覚や幻聴を絵にしました。
激しい原色で、水玉模様や、網目模様で埋め尽くされた表現が特徴です。
絵画だけでなく、オブジェや、インスタレーション、パフォーマンス、ファッションブランドとのコラボも行っています。
奈良美智
1959年 青森県
村上隆と並び、日本のサブカルチャーをアートに昇華した画家です。
世界的に高く評価され、逆輸入的に日本で評価され、敷居が高くアートを遠く感じていた人にも受け入れられ、爆発的な人気を博しています。
代表的なモチーフは、挑戦的な眼差しを向けるこどもや、白い犬です。
無垢で無邪気な中に、底知れぬ何か謎めいたものを感じます。
村上隆
1962年 東京都
ポップアーティスト、有限会社カイカイキキ代表取締役
アニメ、フィギュアなどのオタク文化と日本美術を融合された作品を制作している。「スーパーフラット」
絵画や彫刻の他に、映画監督やルイビトンとのコラボも行っています。
絵画を志す人へ
今の時代、世界に知られるようなアーティストになろうと思ったら、コンセプチャルな要素は必須なのかもしれません。
それどころか、絵画の技術など全く必要がなくなっていますね。
注目の若手アーティストも美大卒ではなく、工業系の大学だったりする人が多い気がします。
だからと言って、絵画というものが失われることはありません。
ピーター・ドイクも現代アートの流れで、絵画はもう時代遅れとばかり軽んじられる中、絵画表現を突き詰める姿勢から「画家の中の画家」と言われるようになりました。
現代アートを語る評論家に評価されなくても、絵画を愛する人はこの先もずっと絶えることはないでしょう。
まとめ
同じアクリル絵の具を使っていても、アーティストそれぞれ全く違う表現になっているのは、アクリル絵の具の表現の広さと、アーティストのオリジナリティを感じますね。
あなたはどれが好きですか?
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